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 《画像》?王貞治 「鬼寮長」武宮敏明さん死す…王、堀内を鉄拳指導とは・・・

友人がちょっと関係があるのですが、
王貞治「鬼寮長」武宮敏明さん死す…王、堀内を鉄拳指導 1982年まで29年間にわたって巨人の寮長を務めた武宮敏明さんが、死去したことが16日に分かった。都内の病院で15日午後8時48分、急性すい炎のため、88歳で亡くなった。王貞治、堀内恒夫、柴田勲、原辰徳、篠塚和典ら数多くの名選手の私生活を指導。時には鉄拳を振るうことも辞さない厳格さから「鬼の武宮」の異名をとり、巨人V9など黄金時代を陰で支えた名物寮長だった。



 巨人の黄金時代を支えた鬼寮長が逝った。武宮さんは、1987年限りで巨人を離れてからも、たびたび東京・調布市内の自宅から川崎市のジャイアンツ寮、ジャイアンツ球場を訪れていたが、ここ2、3年は姿を見せることはなかった。関係者によると、最近は糖尿病との闘いに専念していたという。



 昨年12月、大腿(たい)骨を骨折する事態に見舞われて手術を受けた。その頃から体調が悪化。年が明けて1月5日、東京・三鷹市内の病院に入院した。しかし、病状が回復することなく、15日夜、家族4人にみとられて、急性すい炎のため静かに息を引き取った。



 武宮さんは熊本工出身で、巨人の主軸だった川上哲治さん(野球解説者)の2年後輩。社会人を経て1947年、捕手として巨人入りした。翌48年に自己最多の88試合に出場したが、手首の骨折などけがにも泣かされ、現役生活は6年と短かった。引退後は2軍監督、コーチ、編成担当などを歴任。特に武宮さんにとっての“天職”となったのが、54年から務めた多摩川グラウンド近くの川崎・新丸子にあった球団寮の寮長の仕事だった。



 血気盛んな若手選手に対して、甘えや妥協を一切許さなかった。門限破りを見つけると、尻が腫れ上がるまで竹刀による制裁を見舞った。たばこを吸った未成年選手には反省文を何度も書かせ、漢字があまり読めない選手がいると、とことん新聞を読ませた。社会人としてのモラル、教養も徹底的に指導した。



 選手が1軍や2軍の試合で活躍すると顔をくしゃくしゃにして喜び、褒めちぎった。また、春季キャンプでは最初から最後まで宮崎に滞在して選手の成長を見守るなど、厳しさの中にも優しさのある育成で、選手から親しまれた。糖尿病を患った80年代以降は大好きな酒を断った。98年には白内障の手術を受けた。99年に妻・よし子さんが他界(享年75歳)してからは、息子ら家族とともに暮らしていた。



 29年間の寮長生活で巣立った選手は、鉄拳制裁も辞さずに接した王、柴田らV9戦士だけでなく、現在の巨人を支える原監督や篠塚打撃コーチなど、300人を軽く超える。昭和の巨人を支えた名物寮長が去った。



 ◆武宮 敏明(たけみや・としあき)1921年11月25日、福岡県生まれ。熊本工、奉天満州倶楽部、熊本?道局、九州産交を経て、47年に巨人へ捕手として入団。6年間で通算320試合、713打数134安打、打率1割8分8厘、14本塁打、63打点。引退後の54年から合宿所の寮長として若手選手を厳しく指導。83年からは2軍担当補佐、編成本部顧問を務め、87年末に勇退した。



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100116-00000213-sph-base
[ 2010/01/17 10:10 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)
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